ご挨拶
「国立循環器病センター脳血管内科開設当初を振り返って」
国立循環器病センター 名誉総長
山口 武典
1977年に新設された国立循環器病センター内科脳血管部門の主任医長として赴任してから、既に35年が過ぎようとしています。新設当時は「循環器病センター」とは言いながら「心臓病センター」の感が強く、診断機器の大部分は心臓用で、初めのうちはCTもなく、診療上の重要なパートナーである脳神経外科もまだ開設されていない状態でした。脳血管撮影装置もなく、どうしても必要な場合、一般撮影室で「手引き」の3枚撮影(動脈相、毛細管相、静脈相、それも総頸動脈の直接穿刺)を行うのが精一杯だったことを懐かしく思いだします。病巣・病型診断は臨床症候に頼るのみという状態が約8カ月続いたのです。
翌年の4月から漸くCT(EMI 1010という初代のCTで極めて解像度が悪い)と脳血管撮影装置が与えられて、脳神経外科が開設され、片肺飛行から正常飛行に移ることができました。
ご存じの通り開設当初から脳血管内科には2つのグループがあり、北里大学助教授であった澤田 徹先生がグループの責任者として、小生と同時期に赴任されました。当時の脳卒中は漸くCTによる正確な病型診断が可能になっていたものの、虚血性脳卒中の治療法は全くなく、脳出血に対する血腫除去術が積極的に行われていた時代です。
1978年からレジデント制度が始まりましたが、脳血管内科志望者は皆無に近い状態でした。小生の母教室である九州大学第二内科(当時の教授は後に病院長として赴任された尾前照雄先生)と熊本大学神経内科(荒木淑郎教授)、代謝内科(鵜沢春生教授)にお願いして、何とか1学年2名の枠を埋めるのが精一杯でした。
同じ脳卒中を診療し研究を進めながら、国立循環器病センターの脳血管内科の存在を世の中に示すためには、グループ間に壁を作らず協力しながら仕事が出来ることが大切と考えました。最初に澤田部長と話し合ったことは、@毎朝、両グループ合同のカンファレンスを行う、A大まかな研究テーマを澤田グループは「脳卒中の病態生理」、我々は「発症病理」とする、B臨床研究に必要な症例はお互いに利用できるという3点です。これらの取り決めをしたせいかどうか分かりませんが、次第に集まってきた優秀なスタッフとレジデント諸君の活躍もあって、外野席の心配をよそに両グループともスムースに発展してきたと考えています。
時の流れとともに、九州ではレジデント卒業生の数が増えてきて、同じ釜の飯を食った同好の志が夏休み中に集まろうということで始まったのが「九循会」と聞いています。途中から小生も毎回呼んで貰い、楽しいひと時を過ごさせて頂きました。九州だけで同窓会を開いたのでは、外から見ると「九州中華思想」と言われ兼ねないと思っていたところ、岡田 靖君らの発想でやや形を変えた「山峰会」として発足しました。
小生の跡を継いだ峰松、豊田両部長のたゆまぬ努力とチームワークによって、今や「脳卒中=国循」という印象が日本中に広がっています。これを続けるためには大変な努力を必要とします。そして、それぞれのメンバーは「実るほど頭を垂れる稲穂かな」の言葉を忘れず、良く学び良く遊ぶ「山峰会」を、ますます発展させてくれることを祈念してご挨拶に代えさせて頂きます。
今後、部長の世代交代の度に会の呼称はどんどん長くなるのだろうかと懸念しつつ。